2022年8月16日 (火)
2022年7月10日 (日)
TRAVEL BLOG 北米編~フランク・ロイド・ライトを訪ねて~『ラスムッセン邸』
TRAVEL BLOG 北米編
~フランク・ロイド・ライトを訪ねて~
『ラスムッセン邸』
今朝もM先生の案内で、ウインズロウ邸などのオークパーク内に建っている家を見学に行く話があったが、さすがに昨夜も遅かったため残念ながら今回はパスすることとした。
今朝はパンケーキハウスで朝食後、帰りがけのスーパーでフィルムその他を購入した。
ちなみにKさんは、今までのお土産を郵便で送る為に朝食前に郵便局に行ったものの、まだ営業開始前のため閉まっていたとのことで、朝食後に再度立ち寄っていた。
その後、近くの公園で準備が始まっていた朝市を見ながらホテルに戻った。
久しぶりに出発前に余裕の時間があり、ゆったりと出発する事ができた。
Mさんは朝市で、壁飾りを購入していた。
8時30分にホテルを出発し、遠藤先生のタリアセン時代の同級生であるラスムッセンの邸宅を訪問した。
この家は設計はもちろんのこと、施工も本人の手によって行われたそうだ。
彼の父が施工の仕事をされていたそうだが、それにしても驚きであった。
Rを基調とした扇型のプランで、施工もただでさえ大変そうだが、特にキッチンが円のコア内に見事につくられていた。
機能的にも使いやすそうな設計で、カウンターがじつに綺麗に納まっていた。
また、仕上げ材のチークも綺麗だった。
ラスムッセン邸にもピアノがあったので、またもお礼に歌をプレゼントすることになり、夫婦を前に皆で合唱した。
今度は前回と比べてかなり出来が良かったようだ。
夫人は感動されたのか、涙ぐまれていた。
今思えば、タリアセンでの本番より良かったかもしれない。
その後、外で記念撮影を行い、次の見学地へと向かった。
2022年4月25日 (月)
TRAVEL BLOG 北米編~フランク・ロイド・ライトを訪ねて~『ジョンハンコックセンタービル』
TRAVEL BLOG 北米編
~フランク・ロイド・ライトを訪ねて~
『ジョンハンコックセンタービル』
夕食後、またシカゴ市内へ行こうということになり、恒例となったMさん・Yさんコンビと、Kさん・Oさん・Yさんと私の計6人で再び電車に乗り、市内へ向かった。
(Scan_us2-25-7)
今回は、電車に乗るやいなや、Kさんが電車の出発の勢いでコケそうになりながら席につこうとすると、それを見ていた黒人の少年グループが茶化すように嘲笑っていた。
さすがの関西人Kさんもリアクションに困っていた。
一歩間違えば何かしてきそうな者共であった。
その後何事もなく駅に到着して電車を降りた。
昨日利用した駅と造りが似ていて、あまり雰囲気の変わらない駅だ。
かなりの距離を歩いて、ジョンハンコックセンターに着いた。
昨日通った通りとは全然違った、観光地的な印象の通りを通過して、目的地に到着した。
ジョンハンコックセンターも、他のタワーと同様に、展望室にさまざまな展示がされていた。
しかし、他と違うのは、直接外部に出ることができるスペースがあることだった。
こちらの方がミシガン湖寄りなので、シアーズタワーとはまた違った景色だ。
レイクショアドライブという、湖沿いの道路が、とてもきれいだった。
ビルを降りてから、ミース設計のレイクショアドライブアパート(コンドミニアム)を見に行った。
暗くてよくわからなかったが、「これがそうなのか・・・?」という印象であった。
その後、もう帰ろうか、それとも一杯飲んでいこうか、という話になった。
結局、ホテルのバーで飲もう、ということになり、ウェスティンホテルの一階にあるバーに到着。
かなり洒落たバーだった。
ここではジントニックを飲んだ。
結局、Oさんにご馳走していただいた。
その後また二手に分かれ、オーディトリアムビルを外観だけでも見たかったので、なんとかタクシーを誘導して、建物の外観を見ることができた。
この時の運転手はとても良心的だった。
また、料金も、昨日乗ったタクシーではぼったくりにあったと容易にわかる金額であった。
この日も戻ったのは、結局午前1時半頃であった。
2022年3月25日 (金)
TRAVEL BLOG 北米編~フランク・ロイド・ライトを訪ねて~『ローレント邸』
TRAVEL BLOG 北米編
~フランク・ロイド・ライトを訪ねて~
『ローレント邸』
イリノイ州ロックフォードにあるローレント邸を訪問。
こちらは、ご主人が戦争で足を痛めたこともあり、当初から「車いすで生活しやすい住宅にしたい」という依頼があり、それをもとに設計されたのだそうだ。
建物自体はこじんまりとした造りではあるが、たいへん中身の濃い住宅である。
段差のない室内、車いすのまま使用できるダイニングテーブルやデスク、低いところに設置されたドアノブや照明スイッチ、最低限の間仕切りによる部屋の連続性など、細かな配慮がいたるところに反映された平屋住宅である。
(Scan_us3-10-2)
長いソファが中庭に面した、廊下のような細長い居間の外側すぐのところには、池がある。
その外側が植栽、そしてテラス、とコンパクトに配されている。
この湾曲した居間とテラスを、車いすで池と植栽の周りを回遊できるようになっている。
また、驚いたことに、この建物では内部の壁の納まりには、他の家のように、釘が使われていないのである。
どのように納まっているのか、先生方の間で諸説が述べられていた。
ローレント邸の見学が終わると、再びオークハウスに戻った。
この日の夕食は、遠藤先生のご友人と共にチャイニーズレストランで食べることになった。
レストランでは3テーブルに分かれて食べた。
楽しい時間ではあったが味はというと、残念ながらそこまで美味しいとは言えないものであった。
2022年2月25日 (金)
TRAVEL BLOG 北米編~フランク・ロイド・ライトを訪ねて~『ロビー邸』
TRAVEL BLOG 北米編
~フランク・ロイド・ライトを訪ねて~
『ロビー邸』
ロビー邸は現在シカゴ大学の所有になっており、実際にシカゴ大学の敷地内となっているそうだ。
施主のロビー氏は建築後わずか1年しか住んでおらず、その後事業が悪化し、財産を手放し、奥さんとも離婚してしまうという不幸に見舞われたそうだ。
その後、その所有者は転々とし、最初の段階で内部の家具などはほとんど売られてしまった。
シカゴ大学の所有となり、学生の施設として使用されていた時が最もひどく傷んだようである。
現在はかなり修復が進み、内部の一部の修復と家具の復元を残すところだそうである。
ロビー邸は初め一般住宅のすこし良いものくらいに思っていたが、これまで見てきた個人住宅とは別格の本当の金持ちの邸宅という感じがした。
一見するとRCのようだが、1回で一部構造が見えるところがあって、明らかに木造であることがわかった。
一部の柱などは煉瓦積みの構造体もあるようである。
最も印象的な屋根の張り出しは鉄骨梁が入っている。
各所で日本の障子戸、縁側などの考えが参考にされている旨の説明が、図に基づきながらガイドさんより説明された。
しかし2回のリビングルームに入った時は、その雰囲気に理由なしに最も感激した。
ステンドグラスの窓、下がり天井の照明、各所のボーダー模様、家具こそないもののそれらが一体となり、さらに外には船の船室の舳先のような突部、大きな軒の出と全ての完璧な要素がミックスされて、なんとも言えぬ空間を作り出しているように感じた。
しかしふと考えるとこれは自分の全く勝手な考えだがこの空間は中華系の装飾に近いものがあるのでは、とふと思った。
特に照明は、よく中華的空間にある灯籠が下がっている状況なども連想した。
天井のボーダーも、あったような気がしてならなかった。
日本に帰った後、中華料理店でも行って考えてみよう、とも思った。
内部を見終えて再度外観の写真を撮り、その後昔駐車場として使用されていたところがギフトショップになっており、そこで何点かお土産を購入した。
トイレに行っていたら時間をオーバーしてしまいバスに乗り遅れるところだった。
2022年1月20日 (木)
TRAVEL BLOG 北米編~フランク・ロイド・ライトを訪ねて~『ホームアンドステューディオ』
TRAVEL BLOG 北米編
~フランク・ロイド・ライトを訪ねて~
『ホームアンドステューディオ』
本日のコースはサリバンのオーディトリアムビルとライトのホームアンドステューディオの二手に分かれ、その後ロビー邸で合流するということで、自分はホームアンドステューディオを選択した。
メンバーの大半はこちらへ向かった。
ここはこの日の朝に前だけ通ったが、その時はまだ靄っぽかった。
まだ小雨が降っていたものの、このくらいの時間の方がより良く見えてよかった。
ホームアンドステューディオでは残念ながら内部は写真撮影禁止であった。
ここも2グループに分かれ廻っていった。
日本人のボランティアのガイドさんがついてくれた。
玄関、リビング、食堂などを通り、2階の元々は事務所として使用されていたボールト天井の部屋を観た。
寝室は天井から下がった照明、そしてそれに照らされた壁画が印象的であった。
また、ライトが子供のために造ったとされるプレイルームには劇場的な要素も見られた。
子供の教育に対するライトの情熱を感じたと同時に、タリアセンの原型があるような彼の教育観の一端を見たような気がした。
次に、後に増築されたというスタジオ部分を観た。
吹き抜けの空間で製図室にしてはちょっと落ち着かないのではという感じもした。
外部の喧騒を避けるためなのだろうか。
隣のライブラリー(商談室)も上部からの採光で、外部から直接見えることを避けたような形になっている。
ここにもギフトショップがあったが外部の取り残した写真を撮っていたら、見る時間がなくなってしまった。
2021年12月25日 (土)
TRAVEL BLOG 北米編~フランク・ロイド・ライトを訪ねて~『シカゴ・シアーズタワー(現:ウィリスタワー』
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~フランク・ロイド・ライトを訪ねて~
『シアーズタワー(現:ウィリスタワー』
シカゴの街を抜け、ハイウェイを通り(のちに無料だったのでハイウェイではないと判明)オークパークのホテルライトインに到着した。
ホテルに向かう途中、ライト自邸前を通った。
この旅では、遠藤先生の関係で、タリアセンやフランク・ロイド・ライト財団などの関係者の方々がかなり離れた所からでも度々駆けつけてくださっているようだ。
ここには、タリアセンで修行しシカゴで事務所を開いているという日本人の方が駆けつけてくださり、挨拶をされていた。
今夜はまたMさん、Yさん、Kさんとのグループでシカゴの街へ出てみようということになり、電車で行ってみようということになった。
夜間の電車は結構危険が伴うとのことで、少々ビビりながらオークパーク駅より乗車した。
途中、確かに危ない目つきをした人が電車に乗ってきた。
ここは特に危ないので注意するように、と事前に言われていた区間があったが、何事もなく通り過ぎてひとまずホッとしたのだった。
とりあえずシアーズタワーに上ってみよう、ということで向かった。
(シアーズタワーは2009年にウィリスタワーに名称変更された。)
途中たしか見たことのあるようなビルを見かけた。
こちらはニューヨークとは違い、チケット売り場もガラガラだった。
エレベーターに辿り着くまでにさまざまな展示がされており、特に建築的な展示が充実していた。
中にはライトに関する展示もあった。
エレベーターでは内部でビデオが上映されており、退屈することがなかった。
展望室も、内側の壁に色々な展示がされていた。
夜景は大変素晴らしく、今まで見た中で最も美しい夜景ではないかと思った。
住宅街と思われる、ほぼ同色に広がる無数の照明の色、さらに四方八方に広がる幹線道路の街路等の照明など、これだけの広大な夜景を見るのは初めてだと思う。
夕食をまだとっていなかったのでタワーを折りてから何か食べよう、という事になり、探し歩いた。
しかし、オフィス街のためか結局レストランが見つからず、とりあえずセブンイレブンで飲み物を買った。
本当はここでサンドイッチでも買って食べておけばよかったのだが…。
その後、オークパークに戻ってレストランを探そう、という事になり、タクシーを拾いオークパークに向かった。
だが、このタクシーの運転手が、オークパークまでと言ったら特別料金を取るということになったらしいが、あとで気づいたら多分ぼったくられたようだ。
通りすがらにはファーストフード店以外にレストランは見当たらず、結局ホテルまで戻ってしまった。
ホテルのそばには何かあったのでは、という安易な考えは当てが外れた。
何もないまま駅へ向かい、途中ユニティ教会を発見したが、駅周辺にも何もなかった。
次にカラオケバーのようなところを見つけたが、食べ物はなかった。
カラオケはちょうど黒人の人が歌うところで、生のソウルボイスをほんの少し聞くことができた。
結局、帰る途中にあったウェンディーズしかなさそう(本当はデニーズがどこかにあったはずだが見つからず、のちにホテルに割と近いところにあると気づく)なので、そこに向かうことにする。
かなり疲れ果てていたのでタクシーに乗ろうと思ったが、全く通らず途方に暮れそうになっていたところ、ちょうど通りがかったガソリンスタンドに2台のタクシーが止まっていた。
Kさんに聞いてもらったところ、2台が友達同士で暇を潰していたようで、2台で1台の料金で乗せてくれるということで2人ずつ分乗しウェンディーズに向かってドライブスルーで買おうということになった。
実際それしかやっていないようだった。
Kさんが乗っている先頭車で一緒に買ってもらえると思っていたら勘違いで買っておらず、結局ドライブスルーを2周してしまった。
ついでに雨が降り出し、もしタクシーに乗っていなければ悲惨な結果になっていた。
タクシー代はよくわからなかったので、結局2台分支払ってしまった。
その後我々の部屋でビールもなしでハンバーガーを4人で食べた。
食後は程なくして就寝したが、Kさんはその後もしばらく葉書を何枚も書いていたようだ。
2021年11月30日 (火)
TRAVEL BLOG 北米編~フランク・ロイド・ライトを訪ねて~『ハーマン・モスバーグ邸』
TRAVEL BLOG 北米編
~フランク・ロイド・ライトを訪ねて~
『ハーマン・モスバーグ邸』
この日、次に訪れたのはハーマン・モスバーグ邸であった。
ここも建物表面の通り側は非常に閉鎖的な外観であった一方で、庭側は対照的にとても開放的なつくりとなっていた。
リビングにある、庭に面した大きな窓は非常に印象的なもので、自由学園やその他の建物でも見られるような窓の原型と思われるデザインであった。
また、やはり木建具が使用されているにもかかわらず、全く古さを感じさせなかった。
よく保たれているな、というのが正直な感想であった。
リビング内部も、吹き抜けのあるゆったりとした空間であった。
これまで見てきた住宅の中では最も開放的なスペースのように感じた。
また、エントランスを入ると目の前に吊り階段が現れた。こちらも大変印象的であった。
こちらの御宅では、内部に割と毛足の長い白色のカーペットが敷き詰められていた。
以前よりきれいに保持されていたようだが、つい先日に全部取り替えたとの事で、さらに白さが増していた。
それにしても、土足で上がっているのにこれだけ綺麗であり続けるのはなんとも不思議であった。
ここの御宅は4時半から6時まで1時間半にわたりお邪魔していた。
夕方6時でも十分に明るいので、そんなに時間が経ったような感じがしなかった。
2021年10月10日 (日)
TRAVEL BLOG 北米編~フランク・ロイド・ライトを訪ねて~『パーマー邸』
TRAVEL BLOG 北米編
~フランク・ロイド・ライトを訪ねて~
『パーマー邸』
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この日の最初に訪問するパーマー邸は、ホテルからさほど離れておらず、30分ほどで到着した。
最初は外まわりを見ながら、茶室を意識して設計されたとされる、離れの建物を見学した。
その後、母屋には、ぐるっと周って庭の方から入ることとなった。
この庭側には、印象的な鋭角の庇が伸びている。
この庇は、ライトが設計した住宅の中で最も長いものだということで、これがパーマー夫人の自慢らしい。
パーマーさんはもともと音楽の教育者で、ここのリビングもそれを考えて設計されているとの事。
かつてはこの部屋で、たびたび音楽会が催されたのだそうだ。
ライトもここでピアノの演奏を聴き、聴き終わってピアノの位置につき云々したらしい。
こちらの御宅では、母屋の内部撮影はご遠慮ください、との事で撮ることができなかったが、リビングは天井も高く、快適な空間であった。
廊下の本棚がとても長く、なおかつ重い本が沢山置かれているのになぜ棚が下がらないのか?と質問したところ、本棚下に壁のブロックに埋め込まれたスチールのプレートが持ち出しとなって、本棚下に見えており、それで支えていることがわかった。
また、抽象模様が抜いてあるレンガブロックについて、この抽象模様は何かを意味しデザインされたのでは?と質問したが、これはあくまでも単なる抽象デザインであるとパーマー夫人は述べていた。
ここで、お礼にとタリアセンで歌う予定だった歌を一部パーマー夫人にと賛歌化して、ピアノ伴奏により合唱し、プレゼントした。
専門家の前でやらなかった方が良かったのでは?という声もあったが、まあ良かったのではないか。
集合写真撮影の後、日本で今旬だから、ということで桃をいただき失礼した。
2021年9月10日 (金)
TRAVEL BLOG 北米編~フランク・ロイド・ライトを訪ねて~『落水荘』
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~フランク・ロイド・ライトを訪ねて~
『落水荘』
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いよいよ今回の旅の目玉である、落水荘を訪問。
緊張の一日である。
一般の人が来訪する前の時間帯に訪問。
入り口には受付カウンターやレストルーム、ギフトショップやカフェといった施設があり、思ったより観光化された印象だ。
しかしそこから正規のアプローチを通り、林の中を通り抜ける途中、一時停止して滝の音を聞いてゆくと、ライトの世界に一気に引き込まれる。
そこから間もなくして、落水荘は目の前に出現した。
リビングで説明を受け、その後各部屋へと廻った。床は石敷なので、もっと硬そうなイメージを持っていたが、逆スラブで木根太を組んだ上に張ってあるとの事で、実際にその空間の中にいると、意外と中空なものの上を歩いているような感覚だった。
また初めて写真で見た時から一体何だろうとずっと疑問であった、リビングの暖炉横にある丸い物体は、実は可動式やかんの一種でホットワインを作るのに使われていたのだそうだ。
さらに下の川へと降りていく階段は、実際降りていく機能もあるが、むしろ主な用途としては、降り口のガラスを開け、下から風を入れ、そして川の音を聞くためのものであったようだ。
次にキッチン、地下室、ベッドルーム等を見学し、その後上のゲストハウスへと向かった。
そこへ向かうキャノピー(庇)と階段のキャンティレバーを目の当たりにしたが、細い鉄柱のみでどうして支えられているのか不思議だった。
その後ゲストハウス内ベッドルームを見学、その隣の事務室内スペースでビデオ鑑賞し、30ドルを寄付した。
最後に滝と建物が眺められる場所まで行き、記念写真を撮った。
しかし一般によく見る場所とは違うと思い、よりよく見える場所を求めて道なき下の川の方まで降りていった。
反対側にも渡ってみたが、とても危なっかしいので、それ以上進む事は断念した。
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